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自己内省と気功瞑想

ホメオパシー個人セッション09055294027
自己内省と気功とホメオパシー
自己内省Self Reflectionと気功瞑想
ホメオパシーの実践で偏見無き観察者であるためにしなければならないことは、幾重にも重なって私たちに覆いかぶさっている何か目に見えない色眼鏡(Delusion/妄想)を外すことです。

私たちは人生で、ある種特異的なものの見方を身につけて世の中をみるようになっていきます。うまれたときにはまっさらだったキャンバスが、生い立ちやら環境やらで、とりどりの色彩にあふれてくるわけです。

もちろんこれはその人の人となりを形成するわけですから、他の人とは異なったその人独自のキャラクターということになります。その色彩の渦の中で自己をきちんと表現でき、問題もとりわけ起きないときには、たとえ色眼鏡をつけている傾いた姿勢であっても、仮のバランスが保たれているわけですから、なんら問題にもなりません。まあ、時々人間関係でミスする事はあるかも知れませんが、それくらいのもので、世の中は私たちを「個性的な人」と容認してくれるかも知れません。

しかしいったん病気になると、こうはいきません。本人は治りたいのですが、なかなか自然治癒力が働かず、慢性的に症状が進んでしまうことがあります。その方の生きている存在のあり方が病を深くしてしまうのです。

ここでホメオパシーができることは、その人の健康を取り戻すことが先にはきません。まず色眼鏡に気付かせることが先に来ます。その人の存在のあり方によく似たレメディがすることがこれです。気づきは色眼鏡を外すところから最初の一歩が始まります。

それとほとんんど同時に病的な状態が改善されていきます。つまり心身共に健康になるということです。体だけ健康、心だけ健康ということはまだまだ傾いた姿勢のままなわけですから、真の健康(Wholeness)からは程遠い所にいることになります。ホメオパシーではこのWholenessがとても大きなキーワードになります。

このように病は私たちに知らないうちに姿勢が傾いていることを教えてくれるありがたいものですが、レメディを与えるホメオパスが常にしなければならないこともまた、色眼鏡を外すことなのです。ホメオパスが色眼鏡だらけでクライアントに接したら、決してレメディにたどりつくことはできません。そのためにホメオパスの重要な日課は、自己内省ということになります。

ホメオパスが常にこういう姿勢を保ち続けられれば、自分の色眼鏡から自由でいられます。当然クライアントのレメディにたどりつくことが可能になります。

自己内省のためにホメオパスがすることは修行僧が座禅をするのと似ているかもしれません。気功師もまた、瞑想をします。自己内省という行為はある種の瞑想に似ています。何が起こったのか、その時何を感じたのか、それは良かったのか悪かったのか、結果見えてきたものは何か、他のやり方はあったのだろうか、今度はどうしていくつもりなのか。そういうことを続けることで見えてくることがありますが、それは同時に、自分の色眼鏡から自由になるということになります。

何枚もの色眼メガネを外す作業を続ければ続けるほど、ホメオパスが選ぶレメディの質が高まります。偏見から自由になる度合いが高まるからです。

気功の瞑想では、功法に従って瞑想を続けていくうちに何も考えないという時間が必然的に起きてきます。その結果まっさらになったキャンバスを体験できることになります。何の偏見も無くなる瞬間ですが、その時に圧倒的な気づきが起きることがあります。自己内省を机上で順序立ててしていく作業を省いたような次元で新しいい気づきを持つことができるのです。偏見からは自由になった状態ですから、瞬間に宇宙の真理をつかむという状態に似ているかも知れません。

ホメオパスに必要な自己内省の作業を、図らずも私は気功の瞑想で毎日続けていることになっているのですが、瞑想をやはり日課にしているホメオパスがいます。イギリスのミーシャ・ノーランドというホメオパスですが、彼はこの秋にHAOH国際セミナー(11月23・24・25日)で日本に来ます。3度目の来日になります。http://www.hahnemann-academy.com/information/kokusai_seminar10.html

ホメオパシーに関心のある方はぜひ、ある種の瞑想状態で講義される彼のレクチャーをのぞいてみることをお勧めします。自己内省をし続けたホメオパスの典型的なスタイルが感じ取れるかも知れません。彼を「森の王様」と揶揄する人もいますが、良し悪しはさておいても、素敵なニックネームですね。