ホメオパシー用語集

ホメオパシー個人セッション
ホメオパシー用語集

ホメオパシー関連用語の解説をしていきます。関心のあるページにジャンプしてください。

1、代替医療とホメオパシー

2、好転反応

3、クラシカルとプラクティカル・・ホメオパシーの流派

4、急性症状と慢性症状・・ホメオパスにかかっているときの対処法


5、マヤズムとマヤズム治療について

6、最少投与の法則

 

7、ホメオパシーの思想と哲学

 

8、ケースを受け取る




代替医療とホメオパシー

代替医療

代替医療は補完医療とも呼ばれています。何に対し代替(補完)なのか、というご質問には、現代医学にたいして、とお答しておきましょう。何はともあれ、現代生活では病院という巨大産業構造がひとびとの健康を守ってくれると想定されているので、現代医学以外の医療は押し並べて代替医療というカテゴリーに入ることになってしまうのです。

さてこの代替医療ですが、この数十年の医療の動向を観察すると、あれほど綺羅星のように輝かしかった現代医学にかげりが見え始めたと同時にぐんぐんとまっとうな姿を現す始めたと見ていいと思います。

現代医学で治るものと言えば、急性疾患や感染症だけだということがわかられてしまったからなのです。抗生剤や外科的処置が採用される場合に限って治るのであり、慢性疾患に関してはさっぱり治らないのが現状です。

慢性疾患に薬を投与しても副作用はあっても一時しのぎの症状抑えだけが目立ち、また病気がぶり返したり、副作用からほかの病気が出てきたりなどと、いたちごっこのような有様が続いています。結局根本的なところで治っていないのですね。

この観察は一般の人以外にも医療の現場で医師やほかの医療従事者が心の底におりのように抱いている無力感につながっています。あれほど人々の役に立とうと医療を志して努力した結果の無力感です。自分がやっていることが一体なんなのかわからなくなってしまうのです。かくいう私もその一人だったのですが。

そういう時代背景があって現在ではこの代替医療という分野にスポットが当たってきたのです。なんせ病気は漢方、ハリ、気功、アロマテラピー、植物療法、食事療法、運動、生活の見直しなどの代替医療でしか治らないことに人々は気づき始めてきたのですから。こんな機運の中でホメオパシーも2、30年ほど前から復活してきました。アメリカやヨーロッパでの伸びは目覚ましく、現代医学ではなく薬ではなく、もっと素晴らしい、人間の人間による人間のための、優しく穏やかで副作用がなく永続的な療法に出合いたいという欲求が増えてきたのです。

日本も少しずつ本も出版されテレビでも紹介されるなど、ホメオパシーが伸びてきています。

ただし、現代医学を毛嫌いする形で存在するというわけではないということに注目してください。たくさんの問題を現代医学は抱えてはいますが、ほとんどの医療従事者は優しい心の持主で何とかいい方法に巡り合いたくて汲々しているのです。一生懸命現場で命の救助に心血を注いで働いています。緊急医療の素晴らしさは誰にも文句のつけようがないほどです。

ただし、慢性病に緊急医療的なやり方を続けるのには無理があるということ、つまりただ抗生剤を与え続けるには無理があるということなのです。そこは変えていかなければなりません。

将来的にはホメオパシーもまた現代医学に高レベルな形で統合されていくことを考えていくのが総合的医療の充実に結びついていくことになるのです。医療従事者でホメオパシーを学ぶものがこの数年増えてきています。おそらくこの先50年ころにホメオパシーはピークを迎えるでしょう。その後は現代医学の中に融合された形でホメオパシー独自の存在が影が薄れていくと予想されます。いわば理想的な医療が完成されるということでしょうか。

今はまだ過渡期で、ホメオパスもその養成学校もぼんやりした形で身分保障もありません。代替医療を専門的に学ばせるコースがインドのような形でできていくのが理想的ですが、現在は医療従事者と一般の人々の縄張り争いが始まっている状態でしょうか。

さて、ハーネマンが生きた時代にも、この医療での縄ばり争いがあって、時代というのはどうも権利意識や利害関係が複雑に絡みあって一つの文化を形成するものらしく。200年たっても人間の意識は変わりようもないのがよく見えてきますね。

ここでホメオパシーを日常に使いこなしているあるお母さんの悲鳴にも近い声をあげておきましょう。

「私たちからホメオパシーをとりあげないで。ガンジーがインドにホメオパシーを普及させたのも、国民がまずしかったからでしょ。医療費を払えない人もいるのも事実だけど、それより以上に安全で優しい医療は母親たちの一番の願いなんじゃないですか」と。

 

 

 

好転反応


ホメオパシーでは一般にいわれる副作用はなく、安全です。
しかし症状が一時的に悪化するように見える反応として好転反応があります。存在する症状の一時的な悪化ととらえてください。専門用語ではアグラベーションとも呼ばれます。

好転反応は通常はレメディ服用後1週間以内にみられます。その多くは2週間以内に治まりその後改善がおこります。

好転反応(アグラべーション)はよい反応と考えられていますが、中にはこの悪化が非常に強く起こったり、長く続く場合もあります。

しかし、レメディが適切に選ばれている場合には、こうした好転反応の際の症状悪化が起きているときであっても、不思議に患者さん自身の健康感はよく、気分的にはとてもやすらかなことが特徴的です。

体自身に自然治癒力がホメオパシーレメディによって励起されている状態なのですから、健康な感じがおこるにもなんら不思議はありません。

皮膚症状を例にとりましょう。

ホメオパシーレメディが適格に選ばれていればいったんアトピーなどの症状がわっとひどくなることがあります。これは今まで使っていた副腎皮質ホルモン剤などの現代医学が対症療法的に使った、症状を抑圧し見えなくさせてしまい、あたかもつるつるになった皮膚から病気が治ったように見せかけていた皮膚疾患用の薬の、ただいたずらに症状を抑えこんでいた事実に目を向けなさい、という警告の様なものだと考えてもいいでしょう。

この反応に仰天する人はホメオパシーレメディを疑うかも知れません。でもはたして副腎皮質ホルモン剤で押さえていた方が良かったでしょうか。押さえ続けることで引き起こされる腎障害などの深刻な死に至る病を抱えたまま生きていれば、当然他の薬剤が必要になってきます。

病院で症状を訴えれば訴えるほど薬が累積赤字のように増え続ける医療費泥棒のような経験をして心苦しく思っている老人もたくさんいます。薬などこれ以上ほしくないのに老人医療は負担が低いので患者さんの懐も痛まないせいか、病院はここぞとばかり薬を出しています。

そんな状況は医療費削減の折、どこかで断ち切らなければならないのですが、病院にあしげく足を運ぶ限りまるで悪の連鎖のようにいらない薬がガンガン増えるのは目に余るものがあります。朝昼晩と飴玉のように薬を飲んでいる老人の何と多いことか。

ホメオパシーの好転反応をまるで性悪な女のようにいう医療関係の人々は自分たちがなにも考えずに薬の足し算をしていたことなどなかった事にして、一方で、ホメオパシーの正直な好転反応を目の敵にしてしまうことはナンセンスでしょう。

好転反応を悪玉にするよりも現代医学で不幸になっている方を重視すべきでしょう。薬の持つ副作用はたくさんあります。抑うつや精力減退、不眠や動悸、意志力の低下と震えやしびれ、めまいに食欲不振、潰瘍や便秘、精神疾患や無気力など、あげればきりがありません。こんな思いをしてまで飲んでいるのに慢性疾患は依然として治らない現実をきちんと把握してほしいと思います。

ギリシャ、ヒポクラテスの時代から言われていることに、医療には二つある、一つは症状を押さえて見えにくくするも、もう一つは同じものを使って治癒させるもの、と。

ホメオパシーレメディによる好転反応は痛ましく押しつぶされた生命力が症状として現前させた病気に対抗するために表現された最後の反乱の形です。同じものを使って癒すという、医療のもう一つの方法を適用させる方法なのです。

症状は本来人間にとって好ましいもののはずです。というのも症状が自分に病気を教えてくれるからなのです。無通症の子供は痛みを知ることができないので、人から見れば大ごとにいたってしまうような行動を平気でとってしまい、高いところから飛び降りても痛くないがために無謀なことを平気でしてしまい、その大ごとな所作が禍して早死にしてしまうのです。

症状という大事な教えがない場合の暴挙がこれにあたるのですが、病気になった場合、この症状が教えてくれる物をきちんと受け止め共感をもって対処できさえすれば、病気の治癒は案外簡単なものなのではないのでしょうか。

病気について最も重要でありながらもっとも知られていないことは、どんな症状があろうが、それは何らか病的な症状を引き起こした障害に最大限に適応しようとして適応できなかった生命力バイタルフォースの自己犠牲の姿なのですから、その自己犠牲をしなければならなかった事情や物語を理解共感し慰めをもって消し去ってくれるような人なりものなりがありさえすれば、事足りるわけです。

ホメオパシーレメディは、病気を最大限の共感で受け止めることが可能な(似たものが似た者に寄り添い深い共感を持つのと同じ含みで)病気の物語を聞き、ともに手を取り合うような形でホメオパシーレメディという乗り物に乗せ宇宙のかなたに運び去り成仏させてくれるものなのです。

何と深い共感の世界なのでしょうか。

このような状況にごく自然に到達できるのがホメオパシーです。だからホメオパシーレメディのほんのわずかで一時的な好転反応に目くじらをたてるのもどうかと思われます。きちんと選ばれたレメディならば、一時的な好転反応の時期を過ぎれば症状はぐんぐんよくなります。それまで使っていた抑圧的な薬剤を必至で押し出していくような涙ぐましいバイタルフォースの最後の戦いだと言ってもいいでしょう。

要するに好転反応はたとえあっても、そしてそれがひどくても、不思議に患者さんは気持が落ち着いているものです。ここを目安にしてください。辛いだけで不幸せな状態ならば、それは好転反応ではないかも知れません。案外不適切なレメディのプルービンングである可能性も無きにしもあらずです。


プルービングは健康なボランティアによるホメオパシーレメディのテストをいいます。ホメオパシーレメディを使った人体実験です。膨大な数の人間を使ってレメデで何が起こり何が起きないかをリサーチしていき、マテリアメディカという薬物集を作る参考にします。

ですからオパシーレメデを飲む人は、だれでもプルービングをおこす可能性があります。感受性の高低、生命力の強い弱いでプルービンングの現れ方が違います。

こうしたことを考慮すると、レメディ服用後に今まで経験のしたことない、あるいは現在の症状以外の新しい症状を持つようになった場合、またその新しい症状が病気の経過にみられない場合は、レメディによってプルービングが引き起こされていると考えられることがあります。

このとき新しい症状はレメディの症状像に含まれているものです。  より健康な人、敏感な人は一回のレメディ服用でもポテンシーによってはプルービングをおこします。 

単なる興味から試しにホメオパシーのレメディを服用することによってあらたな症状を引き起こすことになります。

こういうことを考慮に入れても、ホメオパシーレメデイを的確に選ぶ力量が問われることになります。好転反応なのかプルービンングなのか、専門的なホメオパスならわかります。好転反応だと見なされれば、いい方向でバイタルフォースも的確に作動しているはずですから、その頼もしさに脱帽したくなります。好転反応がきちんと起こればおこるほど、病人の治癒は高まります。いわば本来の自分の姿に戻っていけます。

いたずらに好転反応を恐れる必要はありません。実際何にも起こらないようにみえる事もあります。

でも深く学んだホメオパスなら、起きていることが好転反応なのかプルービンングなのか見分けがつくことでしょう。

いずれにせよ、好転反応は治癒への重要な道筋です。使用しないテはないでしょう。赤い実をお酒に浸して作るふくいくたるお酒ならば、ここでいうことの好転反応を何かにたとえられるかも知れません。

あれこれ好転反応に関して議論するのはホメオパシーの初歩的な縄張り争いと似ています。

ホメオパシーレメディがきちんと使われることの大切さを理解し、患者さんのはなしに多大な共感が寄せられるならば、たとえ好転反応が起ころうともうまく乗り切れるでしょう。そして患者との信頼関係ができてさえいれば、好転反応が現代医学には決してない生命力からの大きな贈り物であり、幸せな健康との未知との遭遇だということを、ここで理解し合いたいものです。

 

 

クラシカルとプラクティカル・・ホメオパシーの流派


ホメオパシーの流派についてお話しします。

日本のほとんどのホメオパスはプラクティカルホメオパスです。クラシカルホメオパスは少数で、ホメオパシーと言えばプラクティカルホメオパシーを指しているような現状です。

ここであえて言えば世界の有力なホメオパスはほとんどがクラシカルです。日本にまずプラクティカルホメオパシーが入ってこなければならなかった理由の一つに、薬好きな国民性があげられるかも知れません。新薬にせよ抗生剤にせよ、世界のかなりのシェアを日本が占めている事実は空恐ろしくなりますが、日本国民はこれほどまでに薬が好きな国民だったということかもしれませんし、国民保険の浸透という国策的なものも影響しているのかもしれません。

さて、クラシカルホメオパシーは一回に一粒のレメディを使います。決して数種類を、それも高ポテンシーのものを、大量に使うことはありません。ホメオパシーレメディの成り立ちはプルービングという厳密な人体実験に寄っています。一種類のレメディを健康な人に投与して起きるさまざまな反応を克明に記録していく作業です。

同種療法の原則は、健康な人に起こさせる症状がそれと同じ病気の人たちを治すことができる、ということですが、この人体実験は1種類のレメディでしかなされません。何種類もの混合レメディの人体実験などまずありません。

よって、ホメオパシーが効果を表す範囲というのはたった一つのレメディの活躍が表現する症状に限定されてきます。何種類ものレメディを大量に投与する方法では、体の中でどのようにレメディが反応しているのか、誰にもわからないことなのです。

プラクティカルでは、このあたりをポンと飛び超えてしまうのです。その理由はアグラベーションを抑えいたずらにクライアントを苦しませないとか、現代人はハーネマンの時代に比べれば大量の有害物質にさらされているから単純ではないとか、忙しい現代人には早く効果を上げなければならないとか、さまざまな理由があげられ、いちいちもっともらしいのですが、すべては対症療法的にホメオパシーを使うという便利性が優先されているのと、その反面ホメオパシーの真髄から離れてくるということがあります。

そして何より、人体実験の意味する重大性の無視です。厳密に実証科学を実践し続けたハーネマンはこのような意味合いでのホメオパシーを決して許容する事もないだろうし皮肉ないい方をすれば、レメディを大量に売らんがための薬会社の陰謀だったと言うこともできるでしょう。

実際このやり方はフランスやドイツで盛んになったのですが、これらの国ではその分国民にレメディがいきわたったのですが、反面ではホメオパシーの持つ深い癒しの働きが薄れてしまったことも事実です。

結局一体何のためにホメオパシーをやるのか、ということにかかってくるのですが、対症療法的に症状をおさえるようなやり方は、あえてホメオパシーでなくてもいいし、今ある西洋医学的な方法で充分なのです。

つまり、プラクティカルホメオパシーは似たものが似たものを癒すという同種療法の名を借りた対象療法であり、魂の救済とか、霊的な部分までの癒しとか、人間全体を健康に癒すとかいうことからは大分かけ離れた状態で症状が終わるという方法になるのです。

症状というのは私たちの生命力が命の危機件を知らせてくれる唯一絶対のありがたくはないけれどもありがたい表現なのですが、これをさっさとよく観察もしないで押さえてしまうことはせっかくの命の表現を無視してしまうことになります。

押さえられた症状は今度は体の奥深くに入り込んでいくのですが、結果としてより重大な症状としてそのエネルギーを表現する事になります。たとえば子供の皮膚症状をステロイドで抑え続ければ、皮膚は奇麗になっても後でぜんそくという症状に表現されてくるのです。

こういった対症療法のよさももちろんあります。クラシカルでも急性症状の場合にはレメディを一粒ずつという原則は変えずに5分おきに服用する事もあります。どちらのホメオパスのセルフケア講座にいかれても、対症療法的なレメディの選び方には、両者でそれほど大きなくい違いはないかもしれません(ただし、使い方には違いがあります)。

でも、慢性疾患の治療になるとこれから先がすっかり変わってきます。ホメオパシーでセルフケアでをやっているかたでも、慢性疾患に自分で対処しようとするときに、飴玉のようにレメディを飲んでいる方たちもみうけられ、驚かされます。

専門のホメオパスにかかられても、朝昼晩と違うレメディを飲む、または1か月にレメディを一ビン飲むというやり方もされていて、これには真から驚かされます。少なければ少ないほど効果があるとする同種療法の原則からは想像もつかないことです。

ハーネマンがホメオパシーの原則をどう規定し、どのようにレメディを使っていったか、その詳しい事はオーガノンという書物に詳しく述べられています。彼からたくさんのお弟子さんたちが巣だっていったのですが、後世にどんな書物が書かれようが、ハーネマンが提唱した原則ほど完結で強力なものはありません。

癒しを人々にほどこすものが必ずまもらなければならないこと、それは最小投与の法則どおりに、迅速に優しく永続的に癒されなければならないという鉄則から決して目をそらせてはいけないということです。それが出来さえすれば、流派など目ではないのかもしれません。

クラシカルだろうがプラクティカルだろうが、ホメオパシーの原則通りに実践できることにこしたことはありません。流派を超えてという言い方もありますが、はじめから流派などないのです。流派を作ったのはそうしなければ何かが足りないという思いをもった後世のホメオパスたちです。足りないものは補って構わないし、ハーネマンが全能というわけでもないのですから、そうあるべきかも知れません。

ただし、病んでいるクライアントをこれ以上に傷つけるようなことは決してしてはいけないという大きな使命を忘れてはなりません。営利目的や対症療法に走るあまり、ここを忘れるような方法や流派はハーネマンがもっとも恐れることではないでしょうか。

現代のホメオパシーには飛びぬけて優秀なリーダーがいるかもしれないし、大金持ちがジェット機で乗り付けるようなそばにも寄れない大御所のホメオパスがいるかもしれませんが、忘れてはいけないことは、ホメオパスはみな、ハーネマンの弟子だということです。

ハーネマンの弟子たちはハーネマンが残した課題を決して忘れることなく癒しの技を磨き続け沢山の病める方たちの力になり真の癒しを提供できるように研鑽し続ける必要があるのです。ここさえきちんと順守できれば、どんな流派だろうが全く構わないといえます。

ただ、日本のプラクティスホメオパシーは世界のプラクティスホメオパスとずいぶん異なっているのをここでははっきり言っておきましょう。なぜそうなってしまったのかは、日本という土壌と、日本にプラクティスホメオパシーを広めた方のかなり強烈で魅力的なカリスマ性がそうさせたともいえるでしょう。

今はクラシカルホメオパスの人数も増えてホームページも公開されはじめました。新しくできる学校の殆どはクラシカルホメオパシーです。今は10年前に比較すれば平らにホメオパシーが理解されるいい時期に来ているかも知れません。

それこそ、原則に立ち返り、流派を超えて。/b>

 

 

代替医療
代替医療は補完医療とも呼ばれています。何に対し代替(補完)なのか、というご質問には、現代医学にたいして、とお答しておきましょう。何はともあれ、現代生活では病院という巨大産業構造がひとびとの健康を守ってくれると想定されているので、現代医学以外の医療は押し並べて代替医療というカテゴリーに入ることになってしまうのです。

さてこの代替医療ですが、この数十年の医療の動向を観察すると、あれほど綺羅星のように輝かしかった現代医学にかげりが見え始めたと同時にぐんぐんとまっとうな姿を現す始めたと見ていいと思います。

現代医学で治るものと言えば、急性疾患や感染症だけだということがわかられてしまったからなのです。抗生剤や外科的処置が採用される場合に限って治るのであり、慢性疾患に関してはさっぱり治らないのが現状です。

慢性疾患に薬を投与しても副作用はあっても一時しのぎの症状抑えだけが目立ち、また病気がぶり返したり、副作用からほかの病気が出てきたりなどと、いたちごっこのような有様が続いています。結局根本的なところで治っていないのですね。

この観察は一般の人以外にも医療の現場で医師やほかの医療従事者が心の底におりのように抱いている無力感につながっています。あれほど人々の役に立とうと医療を志して努力した結果の無力感です。自分がやっていることが一体なんなのかわからなくなってしまうのです。かくいう私もその一人だったのですが。

そういう時代背景があって現在ではこの代替医療という分野にスポットが当たってきたのです。なんせ病気は漢方、ハリ、気功、アロマテラピー、植物療法、食事療法、運動、生活の見直しなどの代替医療でしか治らないことに人々は気づき始めてきたのですから。こんな機運の中でホメオパシーも2、30年ほど前から復活してきました。アメリカやヨーロッパでの伸びは目覚ましく、現代医学ではなく薬ではなく、もっと素晴らしい、人間の人間による人間のための、優しく穏やかで副作用がなく永続的な療法に出合いたいという欲求が増えてきたのです。

日本も少しずつ本も出版されテレビでも紹介されるなど、ホメオパシーが伸びてきています。

ただし、現代医学を毛嫌いする形で存在するというわけではないということに注目してください。たくさんの問題を現代医学は抱えてはいますが、ほとんどの医療従事者は優しい心の持主で何とかいい方法に巡り合いたくて汲々しているのです。一生懸命現場で命の救助に心血を注いで働いています。緊急医療の素晴らしさは誰にも文句のつけようがないほどです。

ただし、慢性病に緊急医療的なやり方を続けるのには無理があるということ、つまりただ抗生剤を与え続けるには無理があるということなのです。そこは変えていかなければなりません。

将来的にはホメオパシーもまた現代医学に高レベルな形で統合されていくことを考えていくのが総合的医療の充実に結びついていくことになるのです。医療従事者でホメオパシーを学ぶものがこの数年増えてきています。おそらくこの先50年ころにホメオパシーはピークを迎えるでしょう。その後は現代医学の中に融合された形でホメオパシー独自の存在が影が薄れていくと予想されます。いわば理想的な医療が完成されるということでしょうか。

今はまだ過渡期で、ホメオパスもその養成学校もぼんやりした形で身分保障もありません。代替医療を専門的に学ばせるコースがインドのような形でできていくのが理想的ですが、現在は医療従事者と一般の人々の縄張り争いが始まっている状態でしょうか。

さて、ハーネマンが生きた時代にも、この医療での縄ばり争いがあって、時代というのはどうも権利意識や利害関係が複雑に絡みあって一つの文化を形成するものらしく。200年たっても人間の意識は変わりようもないのがよく見えてきますね。

ここでホメオパシーを日常に使いこなしているあるお母さんの悲鳴にも近い声をあげておきましょう。

「私たちからホメオパシーをとりあげないで。ガンジーがインドにホメオパシーを普及させたのも、国民がまずしかったからでしょ。医療費を払えない人もいるのも事実だけど、それより以上に安全で優しい医療は母親たちの一番の願いなんじゃないですか」と。