ホメオパシー個人セッション09055294027
オルガノンへの誘い
ホメオパシーの思想と哲学 <オルガノンをめぐって>

ホメオパシーの大黒柱、オルガノンをご紹介します

オルガノン「Organon der Heilunst」、「Organon of Medical Art」、「医術の方法論的原則」とはホメオパシーの創始者ハーネマンの著わしたホメオパシーの聖書のようなものです。

この中にはホメオパシーを実践する際のホメオパスの心得はさることながら、病とは、病が癒えるとは、真の医療とは、という治療にとって大切なことが詳しくのべられています。

オルガノンは内容が
1)
病気の認識と徴候の読み取りかた
2)
レメディーの治癒力に関する知識
3)
レメディーの選択と適用、正しい投与量

というふうに、おおむね3部に分かれて記されています。
全容をご紹介するには何ページあってもたリないほどなのですが、その中からこれはホメオパシーを実践していく時の重要なポイントだと思えることをピックアップしながらご紹介していきたいと思います。

オルガノン 扉 のことば Aude Sapere

 

 

 

Aude Sapere あえて1歩を・Organon の冒頭の言葉より引用



Aude Sapere あえて1歩を踏み出せ

  何事も、しなければならない理由は無限にあります
  同時に、しなくてもいい理由も無限にあります
  そこで、迷った時には、
  あえて一歩を踏み出すのです
  そうすることで、そこからなにかが始まります
  どうすればいいのか迷った時には
  勇気をもって
  1歩前へ出してみましょう


見る前に飛べ、という言葉があります。書を捨てて町に出よう、という言葉もあります。

 

人は沢山のことを考えすぎて、実行に移せないこともあります。


考えるのは万物の霊長である人間の宿命ですし、これがあるから世界を制覇できているのですが、


考えすぎてても足も出ないとき、まず私たちがやるべきことは、恐れずに勇気をもって前へ1歩出る事のようです。


200年前にハーネマンが生きた時代は、天才的な医療体系を生み出した彼を受け入れるどころか弾圧することが責務のような風潮でした。


人間の、人間による、人間のための医療を提唱したハーネマンは、この弾圧に屈することなく、同種療法を実践しました。


オルガノンの冒頭を飾るこのことばこそ、彼を支え、また相変らずに現代の混迷を生きている私たちを勇気づけてくれるもののような気がします。   

 

 

 

 

§1治療とは


§1 医師の唯一最高の使命、それは病める人の健康を回復させること。それを治療という。


端的に一言で医師の仕事を説明しています。健康を回復するための仕事についていることの気概が感じられます。体内でおこっている目に見えない命の営みは空想したり仮説を立てたりして良いものではないようです。学会に発表しようとあれこれ画策するのとも無縁です。誇張も無意味な言葉もただただ命の営みの前には無力だということをハーネマンは説いているようです。病める人たちは無駄話で煙にまかれたくはありません。真の医療とは、ただただ病める人の回復に手を差し伸べること。
そういえば、ふかふかの椅子にふんぞり返って患者をはすに眺め、話も聞かず、何か質問すると、余計なことを言うな、とばかり、患者を威嚇する医師もいますね。彼らはなにかとっても疲れているのでしょうか。彼らこそ病人なのかも知れません。「治してやるぞ、でも治せません」病に。これは医療に携わる人たち皆に言えることかもしれません。人をみる医療には余裕が欲しいものですね。とっても忙しいのは人を機械にしてしまいます。チャップリンのモダンタイムズで、主人公がベルトコンベアのそばで機械的な仕事をしているうちに病気になってしまいますが、医療に限らず、どんな仕事でも、人間性を剥奪してしまう仕事で病んでいる人は大勢いますね。まあ、ここは200年前にハーネマンが医師のあるべき姿を説いているのですが、それほど前からどうも、医師の仕事とはかけ離れてしまいがちな医療を施してしまっていた人たちが大勢いたということでしょうか。


写真はアコナイト(とりかぶと)です。ふぐ毒に次ぐ猛毒です。解毒剤はこの世にありません。確実に死にます。ホメオパシーのレメディになった時には、「突然」というテーマで、どんな症状の時にも、何か突然起こったときに使います。 突然の熱、突然の事故、突然の風邪、エトセトラ、エトセトラ・

 

 

§2 理想的な治療とは

理想的な最高の治療は、迅速に優しく健康を取り戻すこと。それは確実で無害な方法でなければならない。


人が病み、それが癒える時の幸福な健康感。これはとても大切なことです。無理やりに健康にさせることなど、ありえないし、あってはならないことです。そういう意味で、現代医学の薬には、とても不安感が漂います。風邪で薬を飲んだはいいけれども、症状はとまっても薬の副作用のせいでいつまでもだるさが残る、卵巣のう腫の手術で膀胱麻痺になる、膠原病を副腎皮質ホルモン剤で抑えているが、薬のせいで顔が丸くなるだけではなく一生薬から離れることはできない、精神科の薬を飲んでいるのに症状はいつも不快で平衡感覚がなく自転車ものれない、もちろん車の運転などもってのほか、ガンを手術で摘出したけれども、術後の憂鬱の対処をしてくれない、など、あげればきりのないほどに医療に付随する事故があります。アメリカでは死亡原因の85%以上が医療でおきることが原因というデータも出ています。なんということでしょうか。健康になるのに命をかけないと健康にはなれませんよ、といわれている感じです。確実で無害なやり方はどこにも見当たりません。ガンは治った(とった)、あなたのうつ病はもう外科の受診対象ではない、3時間まって精神科を受診しなさい、と言われて病んだ身体をもっと細くしていた術後の知人の婦人の絶望感は端でみていても辛いものでした。ハーネマンが説く健康を取り戻す方法には、こうした現代医学の限界を払拭したいという強い意志がみうけられます。理想的な治癒を、彼はホメオパシーを実践することで一生涯追求した、真摯で強靭な精神の持ち主でした。実際、ホメオパシーにはそういう力があったのですから、医療として200年も続き、現在新たに不死鳥のようによみがえった感があるのにはそれなりの理由があったわけです。

 

 

 

 

§3真の治療家になるためには

 医師のすべき仕事は、病気を認識すること、レメディの治癒の働きに関しての知識を持っていること、レメディの選択と適用と正しい投与、回復を妨げているものの除去である。こうして医師は適切で徹底した治療法を理解して本物の治療師となる。



ホメオパシーはアロパシーではないのは当然なのですが、ハーブ療法でもありません。ホメオパシーを自然療法という言い方は間違っています。自然な療法という言い方の方が適切かもしれませんし、単に代替医療という言い方で区分けしておいた方がいいかもしれません。

というのもホメオパスには特別のスキルが必要だからなのです。ホメオパシーは、クライアントの何が治癒されなければならないのかを知覚していくことを最も大きな目標にしながら進んでいく治療法なのです。

そのためには単に病気の症状を見るだけではなく、たくさんの心理的な試みが要求されてきます。

アロパシーDr.ではないけれど診断の技術が必要です。
サイコセラピストではないけれど人間の心理を知っていなければなりません。
カウンセラーではないけれどクライアントとの相互作用や信頼関係、共感のスキルをもたなければなりません。

クライアントの理解、マテリアメディカ(薬物集)の理解、レメディを選んで使う方法への理解、治癒を妨げているものを取り払うことへの理解があって初めてホメオパスとしての実践が可能になるのですが、これだけたくさんのスキルがいったい何のために必要なのでしょうか。

それは真の治療家に必要欠くべからざるものだからなのです。
これだけのことを総合して治療体系に組み込んでいられる癒しの技はホメオパシー以外にはありません。

これらができて初めて、根本的な治療に至ることができるのですが、ホメオパシー以外のいわゆるさまざまな自然療法はその一部分だけをスキルとして実践しているにすぎません。

ホメオパシーが全体医療といわれる所以はここにあります。

§83 偏見なき観察者であれ



 

 

 

 症例を個別化する診察について、私はここで一般的な指針だけを述べよう。病気の観察者は、その中でそれぞれの症例について使えるものだけを心にとめておくべきことである。そのために治療家に求められることは、偏見を持たないこと、健全な分別をもつこと、症状像を注意深く観察して、忠実に記録することである。



偏見無き観察者、これこそハーネマンが口を酸っぱくして治療者に伝えたかったことでした。

ホメオパシーでは病気はその人が生きているやり方の中で何か症状として表現しなければならないものがまずあって、それが症状として出てきていると考えます。つまり人々がわずらっている病気の症状にこそすべてが語られているのです。決して病名が先に来るのではありません。だから、人が何かの病的な状態を表さなければならない、その状況そのものを、ホメオパスは各個人の様々な生き方からとらえていかなければならないのです。病気を診るのではなく、その症状を症状として表現しなければならなくなっている人そのものを注意深く観察しなければならないのです。ホメオパシーがホリスティック医学と呼ばれる所以です。

当然、使うレメディは人によって異なってきます。たとえば癌に使うレメディは人間の数ほどあると言ってもいいでしょう。
現代医学ではまず、病気があってその病名に適合する薬が処方されるのですが、ホメオパシーとはここが大きく違ってきます。

ホメオパシーは現象学ですから、いつもその患者さんに何が起こっているかをじっと観察します。その人のものの考え方、食事の好き嫌い、どんなことに恐怖を感じているか、他の人とはどういう風に違った特別な表現をするのか、深刻な時に笑ったりする、いつも犬に追いかけられる夢を見る、千里眼である、狭くて暗い所が嫌い、など、ホメオパシーのセッションで聞いていくことは、現代医学の診察室で3時間待って3分の診察とはだいぶ異なります。時間も初診に2~3時間もかかります。ただただ、その人によく似たレメディを探すためにです。

こうした作業中にホメオパスは決して偏見を持ってはいけません。クライアントのかたる言葉にじっと耳を澄ませ、クライアントが健康な時には人間の歌を歌っているのに、いったん病気になったときに歌っている歌に耳をすませます。歌っているのはトリカブトの歌?金の歌?ガラガラ蛇の歌?ヒトデの歌?塩の歌?

ホメオパスは膨大なマテリアメディカの中から、クライアントの歌っている歌を探します。探し出したその歌こそ、癌にかかっているAさん、Bさん、Cさん、・・・にぴったりの歌なのです。

それぞれのレメディを探し出して一粒飲んでもらいます。そしてそのあとの再診では、何が変わってなにが変わらないかをじっくり追跡します。気の遠くなるような作業ですが、これがホメオパスの仕事です。

ここにはホメオパスの偏見など一切入る余地はありません。ただ何が起こっているかを観察し続ける敬虔な態度だけです。クライアントを上からの目線で治してやるぞ、という姿勢はありません。病んで痛んでいるクライアントを権威づけで委縮させるなどもってのほかです。診察室の背中に役にも立たない膨大な洋書をこれ見よがしに並べ立てているどこぞの医科大学教授の部屋とは大違いの、質素でこじんまりした応接室でホメオパスは静かなセッションを続けます。

ホメオパシーとは瞑想の庭でホメオパスとクライアントが踊る静かなダンスです。ホメオパシーの創始者ハーネマンが説いたホメオパシーの姿勢を、健全なホメオパスは今も守り続けています。


§225 学習されていることに関してはホメオパシーは無効である

 

 体は病気ではないのに、心配や屈辱、憤慨、侮辱が長く続いたり、恐怖を引き起こす大きな出来事が頻繁に続いたりすることで、体が病気になっていく。こうした感情的な病気は、時間の経過に従って、体の健康をひどく破壊していく。



ホメオパシーの素晴らしい効果をずっと学び続けていると、ホメオパシーはオールマイティであるかのように感じてしまいます。

しかし、ここで忘れてはならないことがあります。

人生で学習によって身についている性格習慣や行動様式に起因している身体的な症状をホメオパシーは治療できない、という現実があります。

もちろん、身体症状そのものに関しては、バイタルフォースのゆがみがみられるわけですから、ホメオパシーレメディによって調和の乱れを是正することができます。

しかし、学習された行動様式や認知の仕方は、カウンセリングやサイコセラピーなどで再教育する必要があるのです。

たとえば、母親から自立できていない成人男性がホメオパシーのセッションを受けた場合、ホメオパスはその男性によく似たレメディを選んで飲んでもらうのがスタートです。

主訴がアイデンテティにかける、ということであった場合、身体的な随伴症状である花粉症はすぐおわりますが、マザコン的な気風の改善はホメオパシーで治療することはできないのです。

というのも、マザコンという形態は、生まれた時からずっと刷り込まれて学ばされたものなので、ホメオパシーレメディのほかに認識を新しく学びなおす、再学習するという意味で、カウンセリングが必要になってくるからなのです。

カウンセリングとホメオパシーの併用、これが基本的なメソッドになってきます。レメディーを使っているわけですから、カウンセリングの効果も短い時間で発揮できるようになって来るはずです。

ホメオパスはレメディーを探すのが仕事です。栄養指導などの業務を兼ねてやることはできません。カウンセリングに関しても同じです。

ある程度体が変わってきた時に、つまりレメディが効果を見せ始めた時に、初めてホメオパシー以外のことに着手してもいいことになって来るのです。

このとき、セッションを担当しているホメオパスにカウンセラーの素養があればいいのでしょうが、多くの場合、改めて他のカウンセラーにかかることがほとんどのようです。

統合失調症に関しては後日改めてページに記す予定でいます。


§246・247 同じレメディの連続投与をしてはいけない

 

すべて投与においてレメディのポテンシーの強さは、前と後では多少でも変えなければならない


レメディの投与に関する原則がオーガノン第6班の公開で、明らかにされた部分です。

ここでは、同じレメディを短期間のうちに反復投与することが生命原理に反していることを表明しています。

治療すべき病気に同じレメディを反復投与するとどうなるのか?

前の投与によって期待される生命原理の状態が変化しているのに、種類もポテンシーも同じレメディを与えたら、体のほうが混乱するのです。

つまり、からだは期待される治癒以外の、レメデイ本来が持っている他の症状を呈してしまうのです。

ポテンシーの変更もないままに投与されてしまったら、患者はさらに他の病気になってしまうということです。

以前よりもさらに重い病気になってしまうことになります。

効果を出し続けている同じレメディの症状は、もともとの病気に対してホメオパシー的な同種の関係にないのですから、もはや治癒は起こらず、悪化が起こるだけなのです。

ここを第6班は払拭していきます。

同じレメディであってもポテンシーを変えさえすれば、以前のレメディで変化が起きて工事中の体に、さらに容易に状態を変えていけます。

それは治癒に一層近づくことを意味します。

つまり、同じ種類のレメデイ使う場合には、次の投与のたびにポテンシーを変えれば(少し高めにダイナミゼーションすれば)いいのです。

こうしたレメディのダイナミック化によって安全にレメディの反復投与ができることになります。

たくさんの同じポテンシーのメディをずっと使い続けることはレメディ病を引き起こしてしまいますから、ここは慎重に、ポテンタイぜーションをしたレメディを使っていくようにしなければいけません。

好転反応と悪化現象を混乱しないようにしてほしいところです。

 

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